Nov 14, 2010

さようならを言う日が来たのか

ここのブログを半分忘れかけていた。
いや、本当はもうずっと書かないでいるだろうと思った。
ローカルネタを忘れ、福岡ネタも忘れ、やれ鉄道やらサッカーやら手芸やらで行くと思った。

2ヶ月ほど前、KBCのアサデス。から一人の男が画面から消えた。

彼は人の良さそうな顔をしていた。
向上心もちらりと見せていた。

消えた理由は福岡市長選挙に出るためらしい。
そう言えばそうだったな、初老の女子地方アナが忽然とレギュラー番組から消えたって
数年前の衆院選だか参院選だかで聞いたぞ。
まさかな、彼がまさかな。と思ったら、そのまさかだった。

おいお前考え直せ、30代だろ、まだお前早いんじゃねえか!
つーかなんで先輩のあいつとか他局のこいつじゃねえんだよ!!
と静岡で頭を抱えていた。
ま、静岡県民が前居たところのこと考えるなんてばかばかしいだろう。
と自分に言い聞かせた。

けれど、風は彼に有利に吹いた。
彼の支持層と投票を二分すると思われる候補者の活動を停止させ、
彼の支持政党の政治家がはるばる福岡までやってきて
どんどん乗り込んで彼を応援する。
今、体たらくの与党でなく自分らの方がマシと主張したい野党が
彼のことも分からず応援していた。

そして今。
福岡市長選、36歳高島氏の初当選確実(2010年11月14日20時05分 読売新聞)

福岡市長選、自公系・高島氏が当選確実 現職ら7人破る(朝日新聞 2010年11月14日20時0分)

彼は1枚のカードになってしまった。
その行為は自分の応援していたモノを裏切ることだった。

悲しい。ここにこういう形のブログしか書けなくなったことが悲しい。
白い紙に不用意にこぼされた黒いインクがジワジワと広がっている。そんな気持ち。

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Feb 05, 2005

12年目の再会(のっちだけ)

というわけで行ってきました、行ってきました。
ディズニー・オン・クラシックin福岡サンパレス に。

これが、のっち今年最初のコンサートになるわけでして、多数の親子連れ。それよりも少ないけれど、カップルと女の子コンビがわさわさと。ひぇー。一人で来たのっちは引き返しかけたけど、ずんずんと進む。開演30分ほど前、黄土色のセーターを着た先輩らしき方がロビーの方に来ていた。

「ひょっとして先輩がなんかの諸事情で降ろされたんじゃ・・」とのっちの中に暗雲が立ち込める。

開演15分前。客席に座ったのっちは席や楽器が配置されたステージを見た。暗いステージの中でハーピストの女性がチューニングをしている。そこにトロンボーンを持った男性がやってきた。見たことある顔だなと思った。先輩だった。ほっとした。その後、彼らは一旦退場。

開演。機械仕掛けのコンサートマスターのバイオリンに合わせてチューニング。白髪のおっちゃんがタクトを振る。緑のレーザービームが降りかかる。後ろの文字も鮮やかに。1幕はレーザービーム多用だったため、集中できなくてうつむいてしまった。1幕終盤のコンサートマスターさんのソロ演奏の色っぽさに感激した時からだんだんとステージの方に目を向ける。あ、コンサートマスターさんと組んだチェリストが上司2に似てたな。

1幕ラストの花火の歌(「We Go On」)、サラ・アン・ルイスの歌声は圧巻。最後に花火が打ち上げられたと思ったら、蛍光棒の小さいのが降ってきた。客席は拾って自分のものにしたり、子供やとなりの人にプレゼントする人続出。

休憩挟んで2幕。いよいよメインのリトル・マーメイド。主人公のアリエル役のサラはこれでもかこれでもかと歌い客席から拍手をもらう。悪い魔女臭が体型からも声からもプンプン漂うキンバリー・チェサーや、顔にたがわずコメディキャラとして歌いまくるバリー・ジェームスにも拍手が送られる。一方のオーケストラはあんまり印象がなかったな。

最後。アンコールステージ、観客共々「星に願いを」の大合唱のはずが、サラや管楽器のプレイヤーがステッキを持って振っていたにもかかわらず、バイオリニストやパーカッショニストがミッキー耳装備にしたにもかかわらず、その中の一人の女性パーカッショニストがにわか面を装着していたにもかかわらず、のっちもふくめた数人ぐらいの観客しか歌っていない。ショック。

今回はちょっと盛り上がりに欠けたかな。子供のようにレーザービームや落下物の仕掛けで喜んだり、ボーカルの声で楽しんだりしたけど、オーケストラとボーカルがばらばらだった部分があった。それがまとまっていればもっと楽しめるかなーとはのっちの感想。

ま、先輩も元気なよーだし。それでオーケーにしとこ。

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あの人もこの人も。

のっちの職場でブログをやってるのはのっちだけ?
「違うよー、僕もだよー」と上司3。見せてっていったところ、やんわりと断られた。まあいい。ブロガーが周りに居るって事実はのっちの励みにもなる。

さて、のっちはその「ブログ繋がり」であるコンサートに行く羽目になった。何のコンサートかは今日の夜以降にばらすとして、のっちの先輩に当たる方がプレイヤーとして登場するからだ。もちろん、先輩もブロガーで、そのコンサートについてもちょくちょく書いている。彼のブログから推測するには今日には約12年ぶりに顔を見ることができるだろう。

楽屋裏で彼宛に差し入れをしようかと考えたが、正体をばらしたが故に彼の希望をずたずたにしないためにも、今回は見るだけにしよう。

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Aug 29, 2004

のっちと「たけのこ教室」

のっちの家は共働きで、日中はおばあちゃんの家に預けられていた。
そこで同い年のいとこと遊び、すっちゃかめっちゃかして毎日を過ごしていた。

ただ、のっちはおかしかった。言葉が出ないのだ。人と行動がずれているのだ。
しかも、最初に話した言葉が「ガードハロー」。テレビの見すぎじゃないか?
もしかして、のっちの言葉が出ない、行動がずれているのってわたし達の責任なの?
困った両親は、のっちを週1の午前中の1時間だけでもある場所で過ごすことにした。

そこは小学校内の「たけのこ教室」。保育園児にも関わらず、のっちは小学校に通った。
「たけのこ教室」では、女の先生と一緒に絵を書き、本を読み、自転車に乗り、そのお部屋のお兄さんお姉さん達と一緒に勉強したこともあった。もちろん、他の部屋に抜け出したり、しっちゃかめっちゃかにするのもしばしば。
それは年長さんの直前まで続いた。

10数年後、のっちは特殊教育の勉強をすることになった。
そこで気づいたのは「たけのこ教室」は特殊学級であったこと。
お兄さんお姉さん達はそのクラスの構成員であったこと。

そして、のっちはふと思う。
「確かにわたしは大学まで進んだけど、それは学校の勉強ができたからだけじゃないか?」
最近、高機能自閉症やアスペルガー症候群なる言葉をよく耳にする。
のっちもそれにあてはまるんじゃないかと思いたくなる節もある。

一番のっちが恵まれていたことはそういった障害に括られることなく、
「変な奴」と思われながらも自由にのんびりと自分を生きていたこと。
あと10年遅く生まれていたら?
親たちは専門家が判断した障害に振り回され、物心つかないのっちもその煽りを喰らっていたことだろう。

もちろん、いまののっちは存在していない。

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Aug 06, 2004

歌を歌えば~鐘がな~る。

のっちの通った高校は地元でも有数の進学校だった。
国家1種に受かるようなエリートをすっちゃかめっちゃか出す高校ではなく、どこか変わった人材を日本の要所要所に出すような高校だった。

その中でここの合唱部は白眉ものだった。どっか楽したいのっちは
「あ゛ー、ここの部活に入れば地方大会にでられるのかー。いいなー」と単純な理由でここの部活に入った。
毎年夏は合宿だった。その後に開かれる定期演奏会のためだ。そして、県大会。もちろん、地方大会にも出た。もう少しで全国に行けるか?というところまで行ったこともあった。

いろんな歌を歌った。日本語、英語、ラテン語。とにかく歌うのは好きだったが、人間関係のいざこざに疲れ、合唱も勉強よろしく手抜きになってしまった。どっかからひっぱられてしか動かない自分。そんな自分を尊敬する人間は皆無に等しく、いつの間にか合唱とは縁遠くなった。

そんな中、後輩達は全国にその名を轟かせ、朝日新聞の全国版にも名前が載るようになっていた。

去年。その後輩達が全国大会で福岡に来ていた。3桁の部員数。その存在は優秀な人材を盗られた運動部は睨み、交通費で四苦八苦するPTAの頭痛の種になってしまっていた。

のせいだろうか、演奏直前、のっちもお世話になった指揮者の先生が倒れるというアクシデントが発生した。にも関わらず、最後の最後に繰り下げてもらって、立ち上がって戻ってきた先生と一緒に彼らは歌い、賞を得た。
我関せずののっちはその間自動車学校に行っていた。

先生のアクシデントは来るかもしれないのっちを待つためのものだったのかもしれない。

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Mar 13, 2004

頭の良さってなんよ。

福岡高校は福岡市下で偏差値の高い高校らしい。
しかし、水曜にここの学校の卒業生が出演しているラジオを聴くと「勉強の頭の良さと引き換えに何か失ったものがあるんじゃないか」とさえ思えてしまう。
午前中には天気の薀蓄を流してみるも、直後にレギュラーパーソナリティらから口撃されてあえなく撃沈する「日本初の天気予報士局アナウンサー」。午後気を取り直してチャンネルをかえて聞いてみると、あまりのボケぶりに「・・・この人、何年アナウンサーやっているんだろう?」と思わずに居られない「戸籍上は40代の女子局アナウンサー」

そうだ、福岡市のもう一つの名門、修猷館高校。そこの出身の方は彼らと違ってまともなはずだ!ということで「天気予報士局アナ」の同期の茅野正昌アナ(ダイエー戦、九州のスポーツ中継の実況でおなじみの方ですね)の紹介をちらりとのぞく。がっ!


小学校低学年ですでに、独自の手法で優勝マジックを計算し、毎朝教室の黒板に書くのが日課だったという。そんな彼にとって、スポーツ実況は仕事ではなく趣味である!!

(03年のRKBラジオホークス歌の応援団HP上の茅野アナの紹介部分より引用)

思わず最後の一文を強調してしまいました。ですが、もっと気になるのは小学校低学年ですでに「独自の手法で優勝マジックを計算」。その計算方法を知りたいと思うのは私だけではないはず。今度開幕戦が始まる前にでも紹介していただけませんかねぇ。茅野さん。

#「天気予報士局アナ」さんと茅野さんの勤める放送局のアナ経歴ページには大学の出身学部等の記載が一切ありません。こういう部分から推測するに2人は理系の学部、または文系であるが数学的分野を使用する学部(経済学部とかね)ではないのかな?

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Feb 11, 2004

「なんで先生にならんかった?」

うちの高校は名門校だったらしい。
東大に行く奴は1学年に一人、有名私立は20人くらいは居た。そして、大学教授になったり、作家になったりするのもいる。お笑いタレントも居た。まぁ、県庁所在地に行けば「うちの授業についてくることができれば国立大のどこかには進学できますよ。」という日本最強の県立学校を無視して「秀才がいたっていなくたってどーだっていいじゃん」という自由な雰囲気は漂っていた。

のせいか、みんな思い思いに進路を目指していく。理数科のくせに文系に進んじゃった人(わたしもそうだ)、テレビ業界に足を突っ込んで、HP上にパスタ食ってる姿をさらした某局テレビディレクター、地元の大学に入ったものの、旧帝大に入りなおして研究にいそしんでいる男。目に入るのはこれくらいであるが、一番目立って多いのは

「先生になる」

これが結構多いんだ。なんでかは知らない。けれど同級生で知っている分で6人居たのだ。教職の実習の際には毎年10人は来てたはず。なんでかなー。教職目指すにはいいのかな~。と思ってしまう。まぁうちの学校の中では「せーともせーとならせんせもせんせ」という「秀才がいたって・・」と似た雰囲気があるんだろう。それを受け入れる懐があるからこそ、教職に憧れる生徒が続々と現れ、毎年うちの学校からは教員の卵が殻ごとごろごろと飛び出し続けている。だろうと思っている。(最近の生徒の動向がよくわからないので・・・)

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Jan 12, 2004

中身は知らないけれど

わたしはテレビとか、ラジオが好きである。極論すればテレビとラジオがあれば生きていける。
じゃあ何で放送局関係に勤めなかったって?大学のときに東京のテレビ局に就職試験受けましたよ。無論最初で落ちましたけど。地元の放送局でも勤めたかったけど、募集かけてなかったようで。まぁ、好きとやりたいは違うから。

そういうわたしの通っていた高校で「放送人」と呼ばれるらしい同窓生が居るそうだ。一人は同学年であり、今は地元近くの放送局でがんばっている。(その姿を直に見られないのが残念だが)
で、もう一人。どうやら同じ部活の先輩らしい。
ネットで自分の知ってる名前を検索してたら(みなさんはそういうことやめましょう)とある放送局のアドレスとともにパッと出た。興味半分でそのページを見ると
「やっぱり、この顔は、先輩、あなたですか」
と思わず口にしてしまった。モンチッチのような人懐っこい顔。まさしくあの先輩に近い。

このホームページを見る限り先輩と同姓同名さんはスポーツディレクターとしてがんばっているらしい。先輩は格闘技もサッカーも野球も好き。と公言していたしなー。もし、この同姓同名さんがわたしの記憶している先輩さんであったならわたしは後輩としてがんばってくれぇと先輩より遠く離れた九州の地で声をあげるのである。

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